プチメタ
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   プチメタ日記:2006年8月16日(水)22時29分 固定リンク

棒人間 VS カーソル

かなり手間のかかった作り込み。

複数のキャラを同時に動かして
それぞれが別々の行動で絡み合っているので
一回ですべての動きを見るのは無理。

長時間に渡り複数のキャラを動かし続けるのは
相当な労力だろうが、それが完成度に結びついている。


   プチメタ日記:2006年8月17日(木)17時03分 固定リンク

ドラゴンボールZ バトル体感格闘かめはめ波

これすごく欲しい。

どうやら両手の指に反射材をベルトで付け、
テレビ付近に置いた本体から光線の反射を読み取っている様子。
指に付けているので、反射の仕方によって
パーかグーかを見分けているようだ。

説明を読むとかめはめ波や元気玉を出したり
敵の光弾を弾き飛ばしたりできるらしい。

とにかくレビューが熱い。
「ようやく修行の成果を試せるときが来ました」
「あの日の練習は無駄にならない!」
「出るの遅いよ、もう30歳なっちゃったから」

子供向けおもちゃなのに大人しかレビューしてない。

インプレスのレビューも熱すぎ


   プチメタ日記:2006年8月18日(金)16時23分 固定リンク

コーラの看板の右上が広告表示のモニターに
なっているようなのだが。



よく見ると、



Windowsのエラーが出てる。


   プチメタ日記:2006年8月19日(土)16時36分 固定リンク

久しぶりにリンク集に追加。

ビジュアル系として
「アインスタイニウム・フェルミウム」と「週刊ゴハチ4コマ」。
ともに女性の絵日記。

週刊ゴハチ4コマの方は更新休止が残念。


   プチメタ日記:2006年8月20日(日)12時17分 固定リンク

自作ソフトを雑誌に掲載・収録させて欲しいという連絡は
割と頻繁に来るわけです。

で、こないだ許可した中に
NHKの「趣味悠々〜中高年のためのパソコン講座〜」という
番組のテキストがあって、届いた掲載誌を眺めていたら
ウゴツールの使い方を詳細に説明している様子。
もしかして番組上でウゴツールを操作するんでしょうか。

チャンネルはNHK教育で、放送日は

「第3回 こんなソフト知っている?」
8月22日(火)午後10:00〜10:25
8月29日(火)午後 0:30〜 0:55(再放送)

です。
試しに録画してみます。

超適当に決めた「ウゴツール」という名前が
NHKの番組で聞けるのかもしれません。


   プチメタ日記:2006年8月21日(月)13時15分 固定リンク

よく考えたら「キンキキッズ」はもうキッズじゃないだろう。

と思いながら、ガンメンセーフ!!更新。


   プチメタ日記:2006年8月21日(月)20時59分 固定リンク

星野真里を最初に見たときはかわいいと思ったけど
テレビで見るたびに、ちゃんとしゃべれない姿にイライラ。

トークできないならバラエティ出るなよ。


   プチメタ日記:2006年8月22日(火)8時51分 固定リンク

マンガ「ハチミツとクローバー」9巻

あー、まさかそんな…。

前半は割とダラダラと進んだのだが、
途中にあった予想外の大きな波にやられた。

頼むからみんな幸せになって、と思いながら
おそらく最終巻となる次巻の発売を待つ。


   プチメタ日記:2006年8月22日(火)22時55分 固定リンク

NHK教育の「趣味悠々〜中高年のためのパソコン講座〜」、
ホントにウゴツールが紹介されてました。


(諸事情により、かなり雑に撮影)

新聞で紹介されたときよりも段違いに感激しました。

番組内では「このソフト」と呼ばれるばかりで
絶対に「ウゴツール」と固有名詞を発音してもらえないのが
NHKっぽい感じです。

メインの講師以外に、生徒として
いとうまい子もいるのですが、ウゴツールを操作している姿に
個人的な好感度がぐっと上がりました。



いとうまい子を含めた生徒3人がウゴツールで絵を描くのですが、
みんながみんな曲線モードで描くので
絵がウネウネしすぎて酔いそうに。
「頼むから直線モードで描いてくれー」と
叫びそうになりました。

とはいえ、25分間の番組のうち
15分間も使って説明されたのは嬉しい限りです。
Vector(広告にボカシかかりまくり)からダウンロードし、
解凍する手順を経て、VTRモード、
アニメGIFファイルで保存する方法まで
かなり細かく説明してくれたと思います。

中高年の人たちにどこまで受け入れられるかわかりませんが
年齢問わず楽しんでもらえれば嬉しい限りです。

再放送は8月29日(火)の昼0時30分からです。


   プチメタ日記:2006年8月23日(水)22時14分 固定リンク

PRANGSTGRUP

変なビデオ作品ばかり作っている集団のページ。
わかりづらいが、「VIDEO ARCHIVE」メニューから
いろいろ見れる。

日常生活内で突然ミュージカル風に歌いだすシリーズが面白い。
大学講義中の「LECTURE MUSICAL」、
図書室内での「LIBRARY MUSICAL」。
いずれも「WATCH IT」メニューから再生できる。

普通にやられたらかなり迷惑だろうが、
迫力のある歌声にちょっと聞き惚れてしまう。
最後に自然と拍手が起こる雰囲気って素晴らしい。


   プチメタ日記:2006年8月24日(木)20時12分 固定リンク

GBA「リズム天国

ちょっと気になるCMではあったけど
ものすごく単調なミニゲームに見えたので
完全に放置していた。

しかし、妙に評判がいいので試しに買ってみた。

初回起動に退屈なリズムチェックをさせられるが、
それが終わると急に面白くなる。
確かにリズム感を鍛えるためのソフトなのだが、
ミッションの内容と画像と演出が見事。

懐かしい雰囲気のドット絵だが
かなり芸が細かく、ちゃんとリズムを取っているのがわかる。

しかもミッションごとに
まったく別のシチュエーションが用意されていて
それぞれに独特の雰囲気があるのは素晴らしい。
ミニゲームながら、これを考え出すのは
相当に大変だったと思う。とにかく演出がうますぎる。

耳に残るリズムはもちろんながら、
ゲームボーイアドバンスなのに歌声が聞こえてくるのも感激。
若干、ボリュームが少なく感じるが
値段やひとつひとつのクオリティを考えると個人的には納得できる。

多くのミッションで、直前に操作の説明をしてくれるのも親切。
おまけとして用意されたドラムレッスンが
見事にドラムっぽさを再現していて嬉しい。

ボタンのタイミングは見た目よりも
音に合わせる方がうまくいく場合が多い。
一瞬で操作を理解し、5分で楽しめるので
接待ゲームとしても最適。気楽に遊びたい人にオススメ。


   プチメタ日記:2006年8月25日(金)17時09分 固定リンク

迷惑メールなのに態度がデカいのが来た。

「あなたの神経の太さには、ほんとうに毎日驚かされます。
 こちらの善意で全額免除手続きをとっているのに、
 どうして返事しないのですか?
 このままですと、このチャンスは
 これで放棄と認定され、他の人に譲ります。

 放棄したくない場合、
 http://***************/からアクセスし、
 きちんと処理をしてください」

新しい攻め方。

「どうして返事しないのですか?」
「きちんと処理をしてください」

広告なのに叱られている気分。


こないだ来たのは
「主人がオオアリクイに殺されて1年が過ぎました」という件名だった。

そりゃ世界には1年前に
オオアリクイに殺された人の妻もいるだろうけども。


   プチメタ日記:2006年8月26日(土)14時12分 固定リンク

dodolookという女性が人気が出ているとか。

全然知らなかったのだが、
どうやら個人で制作した動画を置けるブログで
自己制作のプロモーションビデオを配信したところ、
評判が上がっていったらしい。

検索すると膨大な量の動画が出てくるので
とても全部は見ていられないが、
個人で編集しているはずなのに、かなり凝っている。

あんまりかわいく見えないものもあるが、
太極拳みたいな動画よくわからないメッセージ動画
確かにかわいい。

太極拳の方は滑らかに動きまくる「動」のときと
表情をキメながらピタッと止まる「静」のときが
音楽にぴったりでスゴイ。
もう片方の動画もその都度変える表情がうまい。

プリッツのCMのマネ動画とか、
人によっては本家よりいいと感じるかもしれない。
(最後の「グ・リ・コ」までアクションしてるのが細かい)

かわいく見える表情や動きを
相当に練習してるんじゃないかなぁ。


   プチメタ日記:2006年8月27日(日)15時47分 固定リンク

突然、バイクの左前ウインカーが点かなくなった。

球切れかと思いきや、たまに点くこともある。
念のため、電球を交換してみようかと開けてみると
中が錆び付いていてまったく外れない。

しょうがないので隣町のバイク屋まで
右折だけで行けるルートを考えて持って行った。

結局、バイク屋でも外れず、
ウインカーの根元ごと交換することに。

バイクを停車するときに左に傾けておくのだが、
そのときに雨水が入り込んで錆びたのではないか、とのこと。
錆び付く事でアースとしての電流の流れが悪くなり、
うまく点かなくなったらしい。

早速交換してもらい、
左側だけピカピカのウインカーで帰宅。
ああ、左折できるって素晴らしい。


   プチメタ日記:2006年8月28日(月)16時08分 固定リンク

PS2「THE 原始人」おもしろー。

SIMPLE2000シリーズは基本的にハズレと思っているので
普段は怖くて買えないのだけど、これは評判がよかった。

実際にプレイしても納得できる。
原始人のボスとなり、仲間を引き連れて
獣を倒し、材木や木の実や肉を持ち帰る。
仲間の少ない序盤は、物を運ぶ人員も少ないし、
戦力も少ないのだが、10人を越えたあたりから俄然楽しくなる。

ステージ構成や話の展開もなかなかにうまく、
デカイ獣は強い、人数が多いと強い、とシステムもわかりやすい。

猿から始まり、徐々に進化を遂げつつ
行けなかったステージに行けるようになる工夫など
全体的に造りが丁寧。

「地球防衛軍」に続き、SIMPLE2000シリーズの中のオススメ。


   プチメタ日記:2006年8月29日(火)12時57分 固定リンク

技術ノート:ゲーム論「グ・リ・コ」

長い階段の一番下でジャンケンをして
パーで勝ったら「パ・イ・ナ・ッ・プ・ル」と
階段を上がる遊びがある。

チョキで勝ったら「チ・ョ・コ・レ・ー・ト」、
グーで勝ったら「グ・リ・コ」。
(地方ごとにルールは違うかもしれないが)

これが子供の頃から疑問だった。

「パ・イ・ナ・ッ・プ・ル」と「チ・ョ・コ・レ・ー・ト」は
いずれも6文字。つまり階段を6段進める。
しかしグーの場合の「グ・リ・コ」だけが
3文字なのだ。なぜグーだけが。
グのつく言葉なら
「グ・リ・ン・ピ・ー・ス」とかでいいわけだし。
これなら同じ6文字で公平だ。

だがゲームを作るようになって謎が解けた。

グー、チョキ、パーがすべて6段進めるなら
ただのジャンケン勝負になってしまう。
とにかくジャンケンに勝てば同じだけ進めるのだ。

しかしグーだけが3段しか進めなくなることで
ここに作戦が生まれる。

●進む距離の少ないグーで勝つのは損

●ならばパーかチョキで勝ちたい

●相手も同じことを考えるだろうから
 パーとチョキなら、パーにも勝てるチョキを出すべきだ

●と、相手も考えているとすると
 たとえ距離が少なくてもグーで勝つのが賢いかも

●ならグーに勝つパーを出して6段進むべきか

●でも相手がそこまで深く考えていないなら
 せいぜいチョキしか出してこないかも

●しかし、自分がこう考えていることを読んで
 あえてパーを出してくるかもしれない

となって、ジャンケンでどれを出すのか考えるのに
かなり深みが出る。こっちの方が断然面白い。

そう考えると、
グーを「グ・リ・ン・ピ・ー・ス」にしたルールなんて
つまらなくてやってられないだろう。


ただのジャンケンの場合でも、
普通に適当な手を出すジャンケンよりも
「俺はグーを出すぜ」と告げてから行う方が面白いのは有名だ。

「本当にグーを出すわけない」

「グーにつられてパーを出す自分に勝つために
 チョキを出してくるはずだ。
 だからグーを出せば勝てる。
 最悪、本当にグーを出してきても
 これならあいこだ」

「しかしそれを読んで、あえてパーを出してくるのかも」

と、どんどん深みが出る。


つまり、ゲームのルールというのは
完全に公平にしてしまうのではなく、
若干バランスを崩して強弱を作り、
しかし弱いと思われる手段でも有効になる状況を作り出すことで
ググッと面白くなるのだ。

トランプでもテレビゲームでも
ルールの根底にこういう意図を感じる部分が結構あって
よく考えてるなぁ、と感心することが少なくなかったりする。


   プチメタ日記:2006年8月30日(水)13時02分 固定リンク

大興奮実況入りマインスイーパー

マインスイーパーに感情移入しすぎてて面白い。
「四天王がひとりいないくらい」ってなんだそれ。


   プチメタ日記:2006年8月30日(水)19時50分 固定リンク

8月15日のプチメタ、割と反響があった。

学生事情の個人的見解・後日談 〜その1〜

15日の文章を書いてすぐにメールがあった。

「プチメタ日記の【学生事情の個人的見解】、
 特に【その2】を読んで軽いショックと共に目が覚めました。
 私は現在高校1年生ですが、
 4月のゴールデンウィーク前を最後に
 学校に通っていません。不登校です。

 そして1週間前に、今学年の休学届けを提出したばかりです。
 勉強もせず、何もやらないのはさすがにいけないだろうと思い、
 ハローワークで職を探しましたが、
 合った仕事が見つかりませんので、
 仕事については当分あきらめることにしました。
 これは事実上ニートです。

 私は、軽い鬱をきっかけに自分に甘え、
 勉強も仕事もろくにしない道を選んでいました。
 ついさっきまで、デメリットのことは
 頭のスミにも置いていませんでした。

 このままではいけないと思っていながら、
 未来の事は考えないことにし、
 言葉通り現実から逃げていました。
 しかしもう逃げるわむにはいかないと私は思いました。
 怖くなったからです。

 幼いうちはわからないデメリット、
 これがどれだけ大きいかを知ったからです。
 とにかく怖くなり、もうこれ以上、
 この生活は続けていられないとわかり、
 勉強などを再開し、高校へ復帰することにしました。
 こんな文面でしか感謝の気持ちを伝えられなくて残念ですが、
 本当にありがとうございました。
 がんばっていきたいと思います」

復帰を決断したのは素晴らしいと思う。
このメールを読んだとき、嬉しい気持ちとともに
「この人はたぶんきちんと復帰できる」と思った。

文章もちゃんと書けるし、礼儀も正しい。
現状を把握して思い直し、決断もできている。
私の文章で復帰するきっかけをつかんでもらえたなら
本当に書いてよかった。

思えば高校って一番思い出が多い。しかもひとつひとつが大きい。
いろんな人と出会えるし、いろんな経験ができたと思う。
今、私が高校に入学したら高校1年生になるわけだが、
それは現役の「高校1年生」とは全然違う。
単に「高校に所属する1学年目の生徒」という肩書き以上のものが
「高校1年生」にはある。

だから今、復帰を決断したのは正解だと思う。
何年か経って、
「あのとき復帰してよかった」
と思ってもらえれば、なお嬉しい。

ひとまず、その2へつづく。



   プチメタ日記:2006年8月31日(木)6時08分 固定リンク

学生事情の個人的見解・後日談 〜その2〜

次に来たメール。

「『学生事情の個人的見解』を読んで衝撃を受けました。
 近頃、できる奴とできない奴の差が
 激しくなってきているとよく言われますよね。
 僕もちょっと前まで高校生やっていたんですが
 (今は無事卒業して働いてます)
 結構落ちこぼれでした
 (割合、分数の四則計算くらいは可能ですが)。

 小学校5年生のあたりから
 『自分は勉強できないんだなぁ』と自覚し始め、
 中学時代はいつも勉強から逃げてばかりだったと思います。
 高校入学したあたりからようやく
 『勉強って一体何のために?』と考え始め、
 高校2年生くらいに
 『勉強=忍耐を養うための訓練』なんだなぁという
 結論に達しました。

 その結論に達した後も結局、
 勉強に対する姿勢はそれまでのものと
 ほとんど変わらなかったような気がします。
 勉強程度の苦痛に耐えられない僕は、
 きっと社会に出ても同じように仕事という
 苦痛に耐えられないだろうなぁとか思いながらも
 今はなんとかやっているんですが
 なんか失敗したりうまくいかなかったとき、
 そういえば自分は昔から
 平均以下だったなぁという風に落ち込みます。

 前述の結論に達する以前からも
 先生のおっしゃる『デメリットの想像』っていうのは
 結構できていたと自分では思うのですが
 勉強を我慢してやるというのができなかったんですよねぇ。
 先生の見ているできない奴と僕とは
 また違うタイプなんでしょうか。

 で、このメールで言いたかったことです。
 勉強に耐えられる奴と耐えられない奴って
 何が違うんでしょうか。
 先生が実際に見て感じるその答えが気になります」

読んだ直後、モヤモヤとした感覚になった。
同じような気持ちになった人もいると思う。

この人の高校時の成績とか、
今の学力とか素質とかは別に関係ない。

問題は
「勉強程度の苦痛に耐えられない僕は、
 きっと社会に出ても同じように
 仕事という苦痛に耐えられないだろうなぁ」
という部分。

その前の「勉強=忍耐を養うための訓練」という結論は
完全に間違ってるとは言わないが、
それがすべてではないはずなのだ。

「勉強の目的=苦痛に耐えること」ならば
体に重りを付けて一日中立ってればいい。
滝に打たれていてもいい。
「国語が好きだ」と言い出すような学生が出ないように
もっとくだらない科目にするべきだろう。

しかし、大半の人にとっては「勉強=苦痛」ではないはずだ。
苦痛であるなら、わざわざ自主的に補習に参加する学生や
参考書を買う学生がいるはずがない。
わからないところを先生に聞きに行くのは
苦痛を味わうためではない。

多くの学生は「勉強=やるべきこと」と考えていると思う。
学生だから学校に通う。学生だから授業を受ける。
学生だから勉強する。なぜなら、学生だから。

漠然と考えながらも勉強をする。
これはこれでいいと思う。

8月15日のプチメタで書いたように、
勉強というものは、勉強する方法を身につけ、
得意分野を発掘することだと私は思っている。

高校生のときにそれがわからなくても、
とにかく少しでも興味を持って勉強していれば
それはきっと(直接的でなくても)役に立つはずだ。

しかし、「勉強=苦痛に耐えること」と考えてしまっては
おそらく興味を持つこともないだろうし、
役立つような勉強の仕方も身につかなくなってしまう。
単に「とにかく3年間我慢して卒業しよう」と思ってしまって
学生時代の大半を占める「授業」という時間が
とてもつまらないものになるだろう。

同様に、
「社会に出ても同じように、仕事という苦痛に
 耐えられないだろうなぁとか思いながらも〜」
というところも違和感がある。

仕事というのはもちろん辛いこともあるが「仕事=苦痛」ではない。
そう思うようなら仕事選びが間違っているのだ。

仕事が苦痛にならないように、少しでも興味があり、やりがいを感じ、
通勤面や転勤問題や給与面で不満が少なくなるような仕事を選ぶ。
その希望がなるべく叶うように、
勉強をがんばったり資格を取ったりするわけだ。

つまり、メールの最後にあった
「勉強に耐えられる奴と耐えられない奴って何が違うんでしょうか」
という質問そのものがおかしいのだ。
耐える、耐えないの問題ではなく、
興味を持って勉強できるようにがんばったかどうかだ。

例えばこの質問を
「苦痛に耐えてゲームをクリアできる奴とできない奴って
 何が違うんでしょうか」
に置き換えると、不自然なところが明確になる。
「苦痛に感じるならやるなよ」
「わざわざ苦痛に感じるゲームなんか選ぶなよ」
と、そう思うはずだ。

このメールの話題のまま、その3へつづく。



   プチメタ日記:2006年8月31日(木)12時37分 固定リンク

学生事情の個人的見解・後日談 〜その3〜

8月15日のプチメタで、
「勉強のネタなんて数学じゃなくても
 『アラビア語』でも『地図の読み方』でもなんでもいいのだ。
 大事なのは勉強する方法を身につけ、
 得意分野を発掘することだと思う。
 たまたま、題材が国語・数学・理科・社会・英語だったのだ」
と書いた。これは今でも変わらない。

ただ、だからといって授業科目が
英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語とかばかりだったら、
外国語に興味がない人にとっては、
つまらない授業ばかりに思えてしまう。

そういうことがないように、国語・数学・理科・社会・英語と
なるべく多くの分野をカバーする内容に
なっているのではないだろうか。

これならどれかひとつぐらいは
興味がある分野が含まれているだろう。
もしかしたら複数あるかもしれないし、
もともと関心がなかったのに興味が出たという場合もあるかもしれない。

最初は漠然と「学校には行くもの」とだけ考えて学校に通っていたとしても、
なるべく早い段階で、いずれかの科目に興味を持つべきだったのだ。
小学校低学年でそれができれば、それ以降の授業は俄然楽しくなるし、
中学生でやっと気付いたとしても、充実した中学・高校生活を送れる。

高校に行く頃には文系・理系などと分かれ、
興味の深い分野をより長時間味わえるように工夫されている。

なのに、いつまで経っても興味を持とうとせず、
相変わらず「通学は義務」「勉強=苦痛」と考えていると
同じ授業に参加していても、意味がまったく違ってしまう。

さっきのメールにあった
「勉強を我慢してやるというのができなかったんですよねぇ」
という言葉。当然なのだ。誰も我慢なんてしていない。
もちろん嫌いな教科や苦手な科目は辛いかもしれないが
それをすべてと思ってしまうのは完全にズレている。

さらに
「なんか失敗したりうまくいかなかったとき、
 そういえば自分は昔から平均以下だったなぁという風に落ち込みます」
というのもどうだろう。

勉強する訓練をし、得意分野を発掘することが目的であった
高校時代の成績が平均以下であったからといって
それ以外の場合まで失敗の理由にはならない。
私が仕事で失敗して
「そういえば昔、バスケが下手だったなぁ」
と落ち込んでいたら「はぁ?」と思うだろう。

単に、失敗したときの原因や理由を
昔の成績にこじつけているだけだ。
それを逃げ道にしていては、いつまで経っても失敗しないようにならない。
今、失敗したのは今の自分に原因があるのだ。
解決するのも、これから失敗しないようにするのも
今の自分だ。昔は関係ない。

ただ、昔きちんと勉強していた人は
あるゆる面で吸収が早いし、トラブルにも強いと思う。
自分の興味のある分野に没頭する力も強い。
その辺は昔、努力した効果が出るのだろう。

そうでなかった人は今からでもちゃんと努力すればいい。
勉強する方法さえわかってしまえば
今からでもいろんな役に立つのだから。

さらに、その4へつづく。



   プチメタ日記:2006年8月31日(木)19時22分 固定リンク

学生事情の個人的見解・後日談 〜その4〜

最後のメール。

「8月15日の日記、とても考えさせられました。

 私は中学・高校時代に体がとても弱く、
 あまり学校に行くことができなかったのですが、
 行って学ぶことができた分は必死で学びました。

 それでもやはり足りないなと思っていて、
 今でも戻れるなら、もう一度学生をやれるなら、
 今の、多少は健康な体でやり直したいと考えますが、
 残念ながらその余裕もありません。

 取り戻せない物であることを
 気づかないまま過ぎていく同年代はあまりに多く、
 結局、私よりもずっと学校に通えていたのに
 まともな大人としての会話もできないような人がたくさんいます。

 少しは障害があったほうが
 普通の生活に執着するものみたいですね。
 専門学校に入って、生活できるのに勉強せず、
 遊ぶためにバイトしているような学生を見ると悔しくなります。

 講師という立場でしたら、
 それこそいろいろな生徒さんに出会うんだと思いますが、
 いつか、がんばらなかったことの後悔を
 知ってくれる人が多ければいいな、と悲しく思いました」

確かになんらかの苦労を伴う学生は
非常に意欲が高かったりする(すべてではないが)。
経済的に苦しくて学費をなんとか捻出していたり、
父子家庭、母子家庭で学生自身が大黒柱だったり。

たぶん人一倍、
「勉強してできる限りのことを身につけなければ」
という思いが強いんだと思う。
自分にかかっているものの重さを
より感じているからこそ、熱心になるのだろう。

もちろんそういった苦労の有無に関わらず、
学校に通いながら努力しないというのは
非常にもったいないものだ。

一番わかりやすいのは金だ。
学校に1年間通うというのは相当に金がかかる。
たとえば年間100万円という学費を
社会人が仕事で稼ぐのがどれだけ大変か。

これは単純に年収との比較ではない。
たとえば
「年収400万円だから100万円ぐらいは楽々」
というわけにはいかない。

生きていく以上、家賃やローンだけで年間100万円、
食費や光熱費でさらに年間100万円、
その他、服や家電製品などを考えると
あっという間に自由に使える金額は限られる。
家族を養うというのはそういうことだ。
(金額は非常に大雑把であるが)

その中から、学費のためだけに
年間100万円も余分に捻出するというのはとにかく大変だ。
ひとり暮らし・仕送りなしのバイト生活で
1年で100万円の貯金をすることを考えればわかる。
社会人になった今でも、
100万円なんてそうそう貯まらない。

それだけの金が学費のためにかかっている。

それを考えると、学校をサボッたり、
居眠りして過ごしたり、受け身なだけだったりするのが
いかにもったいないことか。
そんなことをするならさっさと辞めて
学費分を有効に使った方がよっぽどいい。
(その金で遊べ、という意味ではない)

逆に言えば、それだけの金を払っているんだから
授業の方に問題があればガンガン文句を言えばいい。
授業時間外であろうと質問しまくればいい。
同じ学費なんだから、より多くのことを吸収した方が得だ。

レストランで、頼んだ料理を一口かじっただけで
店を出る場合のもったいなさはわかるのに、
それが学校になると急にボヤけてしまう人が多い。

もちろん授業以外の部活動、学園祭などでがんばったので
無駄にはなっていない、と思う人もいると思う。
たしかに授業だけに熱を入れて、
それ以外を惰性で過ごすのももったいない。
これはどちらにも言えることだ。

学園祭でがんばるだけでなく授業もがんばっていれば
もっともっと楽しかったはずだ。
授業でがんばるだけでなく学園祭もがんばっていれば
もっともっと充実していただろう。

高校の学費というのは授業費だけではない。
そういったさまざまな経験を味わえるための費用だ。
だからこそ、惰性で過ごすのではなく
いろんなことを可能な限り体験できるように努力した方がいいと思う。

大人になってから思うのは、あとでどれだけ後悔しても
絶対に高校時代には戻れないということだ。
社会人になったあとの3年間は
高校での3年間と比べるとなんと短いことか。
社会人なりには充実しているものの、
全力でそのためだけに力を注げた高校時代とはまったく違う。

10年以上前の学園祭の準備風景は今でも鮮明に思い出せるのに、
たった1年前の会議のことなどまったく覚えていない。
それぐらい学生時代というのは「濃い」のだ。

いよいよ、その5へつづく。次で最後。



   プチメタ日記:2006年8月31日(木)22時59分 固定リンク

学生事情の個人的見解・後日談 〜その5〜

数学を嫌いながら
「サイン・コサインなんて将来何の役に立つの?」
と不平を言う人は多い。

しかし不思議なことに、体育の授業で
「水泳やサッカーなんて将来何の役に立つの?」
ということを言う人はあまりいない。

実際問題、プロ・アマチュアを問わず
将来までサッカーをしている人なんてどれだけいるだろう。
海に行ったところで、50メートル泳ぎ切る力や
バタフライの泳法を役立てている人がどれだけいるだろう。

両者に違いはないのに、体育や音楽などに対しては
そういった不平を言わないのだ。

これは少なからず体育が体作りや健康促進などに
「間接的に」役に立つことを感じているからではないだろうか。
それに対して数学は「直接的に」役に立たないことを
理由に不満を言ってしまう。

これがおかしいのだ。

何度も言うように、勉強する目的は
「勉強する方法を身につけ、得意分野を発掘すること」だと思う。
そういう意味では数学は間接的に十分役に立っている。

中にはプログラミングをする私のように
サインやコサインが直接的に役に立つ人間もいる。
体育で水泳をやった人の中には
将来スポーツインストラクターになって
直接的に役に立った人もいるだろう。

まったく同じことなんだと思う。

直接的に役に立たないことなんて
普段の生活の中にもたくさんあるのだ。
でもそれは経験や知識や思い出という形で
将来何かしらの役に立つ場合が多い。

もちろん大学や専門学校になれば
すぐあとに控えた社会人の準備として
直接的に役立つ勉強が中心になる。
現場で使う知識、実践的な技術が求められる。

だが高校までは、いろいろな面で柔軟に対応できるように
間接的に役立つ勉強が中心になっているのだろう。
そのため、「物理が何の役に立つのか」という
直接的な効果を疑問に感じるのは無意味なのだ。

不平を言ってやらないよりも、少しでも効果的に勉強が進むよう
興味を持って取り組んだ方がよっぽど意味があるのだ。
最終的に何の役に立ったのかを考えるのは
大人になってからで十分だ。

そして私が今、思うのは、学生生活は
それにかけた時間と金の何倍も役に立ったということだ。
だからこそ、世の中の学生にもがんばって欲しいと思う。

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