釘バットは即席武器としてはかなり優秀なのかもしれないな。
バットに釘を打ち込むだけでできあがるし、
変な角度に打ち込んだりや釘が曲がっても問題ない。
釘がある分、当たる範囲が広くなるし、攻撃力も上がる。
ゾンビが集まってきたときは頼もしい武器になるかも。ただ、いざ探すと家にバットもないし、釘もない。普段使わないし。
ノートの取り方を知らない学生が増えている。
勉強ができない学生は毎年、一定の割合でいるが
最近特に「ノートの取り方を知らない」学生が多い気がする。
それは、「勉強のやり方をわかっていない」のと同義だ。以下のような「ノートの存在意義」がわかっていなければ
ノートのレイアウト術などをいくら調べても無駄である。■ノートの使い方 その1■
講師が説明した内容のうち、口頭説明・板書に関わらず、
必要と思われる情報をノートに記録する。一番大切なのは、講師の発信した情報の中から
重要と思われるものを「自分で」判断するところにある。
それが板書なのか口頭なのかは伝達方法の違いであって
情報の価値とは無関係である。
(むしろ、口頭のみでポロリと漏らした情報こそ
重要な場合が意外とある)勉強ができない人は授業が始まって講師が熱心に説明していても
黒板に何か書かれない限り、知らなくていい情報だと思っている。
そうやってものすごく重要で有益な情報を聞き流し、
話の途中で黒板に書かれた
単体では意味のない単語や図を熱心に写し取る。ここが「書籍」と授業との一番の違いで、
書かれているものがすべてである書籍と混同し、
授業でも文字情報のみが重要と考える人は勉強ができていない。
最近では休み時間の間に黒板の内容を
カメラで撮る学生がいるが、これもまったく意味がない行為だ。勉強のできる人は授業が始まると、まず「聞く」。
しっかり聞いて理解し、「これは覚えておくべきだな」と判断したら
ノートに記録していく。だから情報が一度、脳みそを通る。
(そして重要な情報を説明している際に
前を向いて聞いている学生は「できるヤツ」だと講師にもわかる)※勉強ができない人の勘違い
●黒板に書かれた内容だけを
忠実にノートに記録すればよいと思っている。
●口頭でのみ説明された内容はあまり重要でないと思っている。
●黒板に書かれた情報はすべて重要であると思っている。勉強できない人は勉強ができる人の「結果」だけを真似ている。
「勉強できる人を見ると一生懸命ノートを取っているようだ」
→「だから自分もノートをがんばって取れば勉強ができるはず」
などと考えている。しかしそれは
「満腹な人の前には空の皿がある」
→「自分の前にも空の皿を置けば腹がふくれるはず」
という発想にすぎない。
結果が同じでも過程は伴わないのだ。■ノートの使い方 その2■
あとから情報を引き出しやすいように記録する。ノートとは「補助記憶装置」である。
自分で記憶しきれないものを記録し、
必要なときに情報を取り出すために使う。その目的さえ達成できるなら、ノートじゃなく
パソコンやiPadに打ち込んでも構わない。
極端に言えば、必要な情報をすべて暗記し、
速やかに取り出すことができるならばノートは不要である。※勉強ができない人の勘違い
●授業の黒板を写し終わった段階で
ノートの役目が終わったと思っている。
●汚い書き方でもとにかく授業中に
ノートを書いていることが大事だと思っている。
●黒板に書かれた順番通りに
上から順に記録すればよいと思っている。授業で説明された内容は、ほとんどの場合において
のちに利用する情報である。
近い将来、必要になったタイミングで速やかに取り出せる工夫をし、
調べた項目だけでなく、関連する情報も含めて
読み取れるような記録の仕方を目指すべきだ。情報を取り出す際のことを考えずに記録されたノートを
テスト前に熱心に読み返したところでまったくの無意味である。こういったノートの使い方は本来、
小学校の課程で身に付けるべきだが、
指導の仕方によって正しい使い方を意識できなくなる。私が小学生の頃、授業後に生徒のノートを回収して
きちんと書けているかチェックする先生がいたが、
記録の仕方・必要性は個人によって異なるので
生徒たちのノートを同じ視点でチェックしても意味がない。先生のやり方と違うというだけで叱ったりすると
「黒板の内容をノートに記録するのが勉強するということなんだ」
「ノートさえ写していれば怒られないんだ」という勘違いを生む。それよりも、自分のノートを自由に見てよいというルールのもと、
試験をやらせてみるべきだろう。
試験で問われた問題を解決するために
ノート(または暗記した内容)から
正しく情報を取り出せているならば問題ない。また、ノートを見たにも関わらず問題が解けなかった場合、
どういうノートを書くべきだったか、
自分の記録で不足していた情報が何かを認識できる。現在、学生という立場で
上記のような「間違ったノートの使い方・とらえ方」に当てはまる人は
速やかに意識を変えた方がよい。
今のままではいくらがんばっても
無駄に紙を浪費しただけのノートしか生まないし、
その作業と「勉強する行為」とは無関係だからだ。
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なぜか対談形式の記事を読むのが耐えられない。
雑誌などで段落の先頭に人名が付いてて
聞き手と話し手の会話が交互に書かれているのも苦手だが、
特にWeb上での対談記事は読もうとして
何行か読み進めるも、中身がなく
非常に退屈な印象にかられてすぐ閉じてしまう。会話の内容をほとんどそのまま記録した文章の方が
書き手の勝手な主観が入らずに
話し手のリアルな話が読み取れる気がするのだが、
聞き手側の返答が自分の聞きたいことと違ったり、
不要な雑談部分が混ざっていたりして
文章量に対して情報価値が低い気がしてしまう。結局は自分と考え方の合う書き手が
ある事柄に対して一気にまとめた文章の方が好きだ。